大牟田人の性質
西日本新聞の記事のおかげで、
大牟田の人とのふれあいが、少し増えた。
ありがとうございます。

そうすると、つくづく思う。

大牟田の人間は、プライドが高い。

私は、自分を、なんでこんなプライドが高いんだろう?
と思ってたけど、これは一つの大牟田人の性質でもあるようです。

そして、これが社交性みたいのを左右してるようにも思う。
本当に今日の日記は、独り言ですが、
大牟田の人も、気を悪くしないで一緒に観察してみてね。


プライドの高さゆえに、非社交的に振舞ってるように見える人は、
多分、ただなにか漠然と自信が足りない。

私にも、そういうところがあったし、今も多少あるのだけど。
プライドの高さゆえに、踏み込むのが遅い・浅いように見えて、
ただ何かが怖いのね。ただわけもなく自信が足りない。
自信なんて、持つことに根拠はいらないし、踏み込まなきゃ見えないものが
沢山あるのに。
なにかを、いっぱい、あきらめたり、してきたのかな?

ちょっと違うかもしれませんが、私にとっては興味深かったのが、
mixiの大蛇山コミュにも、私が作った「大蛇山のおはなし」の
トピックがあるのだけど、面白いくらい放置されています。

まあ、興味が湧かなかったり、心に響かなかったりだったら、
仕方がないな、って思うんだけど。
わざわざメッセージをくださる人はいるの。複数名。
なんででしょう?トピックには、なにも書き込まないんです。
もちろんとっても嬉しいです。でも、不思議でしょ?

慎重にって思うのかな?人前で意見を言うのは慎重に?

やっぱり大牟田っていう土地の過渡期に、生まれたからかな?

炭鉱の町として大いに栄えて、廃れて、
同級生がどんどん引っ越したとか、家が傾いたとか、
子供の頃にそういう経験した人がいっぱいいるしね。
大牟田になにがある?って、炭鉱があるじゃん。
なんて、私たちは、もうピンとこない世代。

お年頃になれば、買い物は天神に行っただろうしね。
そうしたら、福岡市は大都会に思えるしね。
仕事も、どこか違う町で探して、って人がどんどん増えたでしょうしね。

だからといって、大牟田は、手付かずの自然の残る美しい町ってわけじゃない。

大牟田川は、異臭を放って、教室には空気清浄機がなきゃいけないくらい、
ぜんそくの子も多い町。私も小児喘息はひどかった。

微妙な町?
いろんな所に引っ越したりして、実際そう言われたこともあった。

私は住んでいた頃、幼かったせいか、世界で一番いいところだと
思っていたよ。
川は汚かった。喘息もひどかった。
幼馴染が夜逃げしたりした。

でも、ここに生まれて本当に良かったーって、思ってた。


今でも、やっぱりどこかでそう思ってる。

なんで?

なんの根拠もなかったかもしれない。
だけど、愛も自信も根拠はいらないよ

だって。生まれたところだもん。

それに、やっぱり、


大蛇山があるもん。
ああ、これは、ものすっごく大きいです。



大牟田の人でも、記事を引っつかんで、
わざわざ会いにきてくれたような人は、
大牟田があるがままに、ただ愛して。
自分が生まれたところを愛して。
劣等感とかあまりないんだろうな。

新聞記事に、大蛇山とか、大牟田出身って、載ってるだけで、
喜んでくれて、行動に移しちゃうような社交的な人には、
ただただ、あるがままに自信もある。

ところで、あの、おっちゃんはいい人だったな。
口が悪いのは本当に大牟田人ぽい。ムダに口が悪かった。
でも、二回も来てくれた。
なにより、私の年を「21歳」と間違えて言ったところが
すごく良い人だ。
*********************

明日から、このブログで大蛇山のおはなし、を連載していきます。
よかったら、また遊びに来てください。
【2007/09/06 22:28】 | 今おもうこと | トラックバック(0) | コメント(4) |
私がベジタリアンになる日
昨日は、金曜だったので、十番に行きました。

友人知人たちが来てくださって、とても嬉しかったです。
あと一週間をきりました。

11/26(日) 27(月) 29(水)に行く予定です。
infocurious

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さて最近、ずっと胃腸に違和感があります。
近所の水道工事の影響もありました。その時は、激痛でした。

その影響は、落ち着いてきたのですが、なんとなく、
ゆっくりとですが、自分が菜食になっていく気がしています。

私は、幼い頃から外食中心の食生活でして、
今も、フレンチと中華の外食が大好きなので、
知人から、いつもそういうものを食べていると
思われているようなのですが、そんなことはないのです。

家では、ほとんどお野菜ばかりですし、
お昼もお弁当持って出かけてます。
お野菜が中心の食生活ですが、動物性たんぱく質も、
美容と健康に必要な気がするので、多少は摂取しています。

が。

どうも最近、お魚食べると、胃の調子がおかしい。
お肉を食べると、脳みその動きが緩慢になってくる。

年とって嗜好が変わった、というわけではないのです。
食の楽しみという点では、お肉・お魚って、すごく魅力的なんですが。
それだけでは、胃は苦しいくらいいっぱいでも、空腹感があって、
なんか、体が満たされないかんじ。
野菜をバランスよく食べると、量は多くなくても満たされます。

体が、精神に沿ってきたのかなあ。

精神世界のお勉強は、幼い頃からずっとしてきました。
大人になって、そういう研究中心の人生を選んだ人たちには、
菜食主義が多いことも知りました。
でも、私はあまりそういう人たちと、深い理解をしあう関係には
ならなかったし、「いけすかない」やつらだと感じることも多く、
そういう生き方に憧れて、菜食主義になることはありませんでした。

しかし、菜食主義はいいもんだよなあ、という感覚はありました。
でも、自分にはまだ早いなあ、その時がくれば、自然にそうなるさ、
と。

どうやら、その時は、だんだん近づいてきているのかも、しれません。

菜食主義の方でも、生き物の命を頂いて、生きてることには変わりません。
だからこそ、私たちが食事としていただくその命が、
果たしてどんな風に生きたのか?死んだのか?
体も自然と反応するのかもしれません。
宮澤賢治の「フランドン農学校の豚」のように、
悲しさを体に充満させた動物の肉なら、
私たちの体もほしがらなくなるのは、自然なことのように感じます。

私は、今はまだ、お肉も魚も頂いています。
ただ、欲しくないなあ、と思う日が、もしかしたら来るのかも、
しれませんね。
【2006/11/25 15:39】 | 今おもうこと | トラックバック(0) | コメント(0) |
ラブラブ憲法9条
9jou


写真は、友人A嬢の作っている、「ラブラブ憲法9条バッヂ」です。
憲法9条の書かれたコピー用紙に包んで、無料で配布してるそう。
欲しいと言った人にね。

私も欲しいと言ったら、これをくれました。
色は、私の大好きな紫色。補色である黄色の「9」が愛しいです。

爆笑問題の太田光さんが、
「憲法9条を世界遺産に」という本を出されました。
また後日、リンクをのせます。

私が、あなたが、

「幸せになろう。幸せになって欲しい。」

と、毎日を精一杯生きるのは。
この平和な現在にいるから、努力はきっと報われると、
心から信じられることが、基本になっているのではないでしょうか?


憲法9条
一 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
  国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
  国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

ニ 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持
  しない。国の交戦権はこれを認めない。 
【2006/08/30 18:09】 | 今おもうこと | トラックバック(0) | コメント(0) |
愛し方
kiai




私は、あまり男の人を好きにならないかわりに、
一度、真剣に愛し合った人のことは、ずっとずっと愛している。

付き合った人は、何人かいるけれど、
本当に愛し合って、大事な時間を共有したと思えるのは、三人。

一人は、私を「異性だが親友だ」といってくれた。

一人は、「同じ絵の世界で生きる者として」今でも私の動向を、
気にしてくれるし、私は彼の生き様を尊敬している。

一人は、私が「画家として成功するのを信じている」と言ってくれ、
応援している、と言ってくれる。

私は、愛した人たちと別れる時は、三度ともこう誓っているのだった。

「もう、そばにいて、励ましあったり、温めあったりすることはないけど、
近くにいて、不満に思ったり、不用意に相手を傷つけることもない。
だから、私の意識のある限り、ずっとこの人を愛し続けよう。
二度と、この世に誰も味方のないような、底抜けの孤独に陥る必要がないことを、
遠くから、直接ではないが、どこかに伝わるよう、思い続けよう。」

その思いと。

自分自身が、幸せで、健康で、元気で、やさしく、強く、
絵を描いて生きること。

この二つだけが、心から愛し合うことができた人たちに、
別れた後の、私のできること。

だと思っていた。

私は、その人たちを忘れる日はないだろうし、
遠くから思うことくらい、彼らに愛する人ができても、
迷惑じゃないだろうから、一生続けてもいいのだと、
思っていた。

別れる時、「これからも、ずっと愛し続けるけれど、いいか?」
と、問うのだ。自分が、別れを決める(求める)方だったのに、
それは、聞かずにいられないことだった。

あまりにも多くのものを、恋人によって与えられて、
今の自分は、その経験なしには、考えられないものなので、
ずっとずっと遠くから、彼らの生活に、何の害も得も、
もたらさない愛を送り続けられば、この先も嬉しいし。
迷惑にならないなら、いいのではないかと。
思っていたのだ。


でも、そうでもないかも、と思い始めました。


自分の存在も忘れるほど、幸せになってくれることを、
ほんの少しのさみしさと、特大の幸せと喜びで、
祝福してきたのだけれど。

そうなっても、ずっと愛し続けていて、なんの問題もないと
思っていたけれど。

相手が、すっかり忘れてしまったのなら、
こっちも、忘れてしまうことが、愛し方としては、
適切なのかもしれないと、最近思いました。

私にとっては、愛してる人と過ごしたことは、何一つ欠けても、
今の私にたどり着けなかった、とても貴重なことだから。

相手にも、私のことを忘れても、
その時に見つけたことや、得たものがあったとしたら、
そのことは、できれば持ち続けて欲しいと思っているから。

それは、とても自分勝手なことだったのかも、しれません。

そばで何一つしてあげられなくても、ずっと、幸せを祈って、
応援し続けるのが、自分の愛し方だと。
直接何かをするわけでもないので、
これだけは、誰にも迷惑をかけないし、何を言われても、
やめることはないと。

ずっと思ってきたけれど、そうではないのかもしれない。

「まいこは親友」と言ってくれてた女の人を、自分のいい加減さで、
深く傷つけて知らないうちに、二度と会えない関係に、してしまったことがあります。
私は、彼女を(友人として)愛して、今でも幸せを祈っているけれど、
彼女は、私に思われることは、多分不愉快だと思います。悲しいけど。
事実だと思います。

それは、なんか、違うような気もするけれど。
それくらい、私は人の気持ちが変わることに、鈍感なので、
「ずっと愛していてもいい。」という気持ちも、変わっていくのに、
気付くはずがないので。

こんな風に、考える日が来るとは、思わなかった。
でも、考えるべきだったんだろう。




と、いうことで一つの基準を思いつきました!!
これは、友人たちにも、多分応用できます!!

DMを受け取ってくれてる間は、まだいい。

微妙すぎる表現だが、これでいこう。

すごくわかりやすい。
DMは、私が絵描きとして生きてる証だもんね。

受け取ってくれてる間は、遠くにいても、普段は忘れてても、
私は、ずっと君の味方だよ。
それも、鬱陶しくなったら、受け取らなければいいからね。
【2006/08/26 22:48】 | 今おもうこと | トラックバック(0) | コメント(0) |
祈る日
終戦の日。

日本は、平和な国。
しかし世界のどこかは、いつでも戦時中。

幼い頃から、戦争への恐怖はいつもあります。

私たちは、原爆を二つも受けた、ただ一つの国に生まれた。

私たちは、すごく忘れっぽくて、人を許すことにも寛容だ。

だけど、忘れてはいけない。
戦争は、いつも、いつまでも、どこでも、「絶対悪」だと。

明日のお昼には、お祈りをします。

決して、戦争をしている国の中に、日本を入れない。
戦争を終わらせようと、努力する国でありたい。
地球にこれだけお世話になっているのに、
地球を殺す道具を、持ちたくない。

一人一人の祈りは小さくても、きっと届くはず。

この国に生まれた幸運に、心から感謝して、
祈る日を迎えます。
【2006/08/15 00:16】 | 今おもうこと | トラックバック(0) | コメント(0) |
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